探偵業は、浮気調査や所在確認、企業内部の不正調査など、依頼者のプライバシーと密接に関わる専門サービスです。開業には各都道府県公安委員会への届出(探偵業法)が必須であることはよく知られていますが、実務を安全に回し信頼を獲得するためには、適切な契約書類の整備が欠かせません。ここでは契約書作成を専門とする行政書士の立場から、探偵事業者が最低限押さえておきたい書式と条項、作成時の注意点を体系的に説明します。


1 探偵業法で義務付けられる二段階書面

まず最優先で整えるべきは、法律で交付が義務付けられた「重要事項説明書」と「契約書面」です。どちらも依頼人保護を目的とするものですが、交付タイミングと記載内容が異なります。

  • 重要事項説明書(契約前)
    契約を迫る前に書面で説明しなければならない事項が列挙されています。調査目的・方法、料金算定基準、個人情報の取扱い、損害発生時の補償有無などが代表例です。依頼人が情報を吟味し、依頼を断る自由を確保するうえで不可欠な書類です。
  • 契約書面(契約締結時)
    実際に締結する調査委託契約の内容を記載します。調査範囲、期間、報酬額、追加費用発生条件、解約手続き、成果物の帰属、クレーム対応窓口などを具体的に示し、双方が署名押印します。これを交付しない、あるいは要件を欠くと公安委員会の行政処分対象になります。

上記二書面は「書いて渡せば終わり」ではなく、依頼内容が変更された場合に速やかに再交付・差替えが必要である点を押さえてください。事後的に「口頭で了承を取った」では済まされません。


2 依頼契約書を作る際に盛り込むべき条項

法定書面を土台に、実務で紛争が起きやすいポイントを具体的な条項として落とし込みます。

  1. 調査目的の限定と適法手段の宣言
    「対象者の不貞行為を客観的証拠として把握することを目的とする」「住居侵入や盗聴など法令に違反する行為は一切行わない」と明記すると、違法調査を要求された際の盾になります。
  2. 成果物の定義と品質基準
    成果物が写真・動画であれば、撮影日時が判読できること、対象者の顔や車両ナンバーが認識できる解像度であること等を具体化し、「これを満たせば成功報酬の支払義務が生じる」と結び付けます。曖昧なままでは「証拠として使えない」と紛争化しやすいからです。
  3. 報酬体系と追加費用の上限
    多くの探偵社が採用する「着手金+成功報酬」や「時間単価+実費精算」は、算定根拠が不透明だと高額請求トラブルになります。具体的な単価、想定稼働時間、交通・宿泊・車両費の算出基礎を文章で示し、上限額または再協議ラインを設定しましょう。
  4. 中途解約・クーリングオフの取り扱い
    探偵業法にクーリングオフ義務はありませんが、訪問勧誘や電話勧誘を行う場合は特商法の規定が絡みます。また自主ルールとして「契約日から8日以内は無条件解約可」と定めると、依頼人に安心感を与え、ブランド価値も向上します。
  5. 守秘義務と成果物の二次利用制限
    調査報告書や映像を依頼目的以外に利用しないこと、第三者へ提供する場合は双方の書面同意を要件とすることを明示しておくと、のちのSNS流出や不当利用を抑止できます。

3 外部協力者・従業員に関わる契約書

探偵業では外注カメラマンやフリーランス調査員を活用する場面が多く、また社内スタッフも深夜帯や危険度の高い現場に赴くことがあります。依頼契約と並行して、以下の契約書を整備すると組織全体のリスクが下がります。

  • 業務委託契約書(外注先用)
    所轄警察への届出を済ませた業者かどうかを確認し、下請けが違法手段を用いた場合の責任分担を定めます。指揮命令が強い運用は労働者派遣とみなされやすいため「自主的裁量で遂行」「成果ベースで報酬を支払う」といった独立性を強調する文言が重要です。
  • 秘密保持契約(NDA)
    調査対象の個人情報や企業機密を共有せざるを得ないため、漏えい時の損害賠償額や違約金を明確化し、データ返却・破棄の方法と時期を取り決めます。
  • 雇用契約書・就業規則
    社員調査員には深夜割増や月60時間超の残業上限、危険手当の支給基準などを盛り込む必要があります。労働時間管理がずさんだと労基署から是正勧告を受けるだけでなく、公安委員会にも悪影響を与えかねません。

4 個人情報・映像データ管理規程の策定

契約書ではありませんが、探偵業においては映像や尾行メモが本人特定情報を含むため、社内ルールを文書化しておくことが不可欠です。取得目的の限定、保存期間、廃棄記録の保管、漏えい時の報告フローまで定め、社員への研修を実施しましょう。これを怠ると行政指導や損害賠償リスクが跳ね上がります。


5 契約書作成時にありがちな失敗と対策

  • 抽象的な成功要件
    「証拠写真を取得した場合」だけでは足りません。誰が見ても達成可否を判断できる客観基準を置くことが紛争抑止の鍵です。
  • 調査期間を無制限に設定
    依頼者の期待が過度に膨らみ、費用トラブルにつながります。期間や稼働時間を区切り、延長は別契約にする二段階方式が安全です。
  • 外注先の法令順守を契約書で担保しない
    違法尾行や不適切取材を行った場合、元請けも連帯責任を問われます。委託契約書に損害賠償義務と解除条項を必ず盛り込みましょう。

6 行政書士が提供できる実務サポート

探偵業に精通した行政書士は、法定書面の雛形提供だけでなく、個々の業務フローをヒアリングしたうえで条文をカスタマイズします。公安委員会への届出書類、契約書、NDA、就業規則をワンパッケージで整備し、変更時の届出期限や条項改訂履歴を一元管理する仕組みも提案可能です。開業後のトラブル相談や訴訟リスク分析については、必要に応じて弁護士と連携して対応します。


7 まとめ

探偵事業は、依頼人の生活や企業活動に深く入り込む高リスクビジネスです。法定の「重要事項説明書」と「契約書面」を正確に交付することが最低限のスタートラインであり、そのうえで調査目的・方法・報酬・成果物・解約条件を具体的に記した独自契約書を整えることが、信頼獲得と自社防衛の両輪になります。さらに外部協力者や従業員を巻き込む際の業務委託契約、秘密保持契約、雇用契約、情報管理規程をセットで導入すれば、法的・倫理的リスクを大幅に低減できます。

開業準備段階で契約書を整備するのは手間と感じるかもしれません。しかし、開業後にトラブルが発生してから作り直すほうがコストも時間も膨大です。探偵業法と各種労働・個人情報関連法を横断的に理解する行政書士に早めに相談し、「依頼人に安心され、自社も守られる」契約書体系を構築しましょう。それが、長く選ばれる探偵事業者への近道です。