近年、浮気や金銭問題を契機に「離婚を回避したい」「再構築のために約束を形に残したい」という理由で、夫婦が誓約書(合意書)を取り交わす事例が増えています。書面化それ自体は当事者の心理的なけじめになり、後日のトラブル防止にも有効です。ただし、誓約書の中身が法律上無効と判断されれば、せっかくの合意がまったく効力を持たないばかりか、相手方からの反発を招きかねません。ここでは契約書作成を業とする行政書士の立場から、夫婦間誓約書で「無効」と評価されやすい条項の類型と、実務で避けるためのポイントを解説します。文字量は約三千字程度でまとめています。
1 無効判断の基準はどこにあるのか
民法は契約自由の原則を認めつつ、公序良俗(民法90条)や夫婦の実質的平等(同752条)を守るため、一定の内容を無効とします。さらに、消費者契約法や労働関連法が関与する場面もあり得ますが、夫婦間誓約書の是非は主に「社会通念」「人格権」「過度の拘束」の観点から審査されます。したがって、無効か有効かは条文表現だけでなく、作成経緯や夫婦の力関係、条項が及ぼす影響の大きさによって総合判断されることを押さえておく必要があります。
2 無効となりやすい代表的な条項
(1)過度に高額な違約金・慰謝料
浮気の再発防止を目的に「再度の不貞が発覚したら一千万円を支払う」という条項を盛り込むケースがあります。しかし、経済力や婚姻期間、精神的損害の程度を大幅に上回る金額は、暴利契約として公序良俗違反と判断される可能性が高いです。判例上、離婚慰謝料の上限を極端に超える額は減額または無効とされる傾向があります。
(2)行動・交友関係を全面的に監視・制限する規定
「毎日現在地を共有アプリで送信する」「異性と私的に連絡した場合は即違約金」といった、人格権侵害に直結する監視条項は要注意です。夫婦であっても個人の自由とプライバシーは尊重されるべきであり、必要性・相当性を著しく欠く制限は無効とみなされやすいからです。
(3)性的行為を強制する条項
「週三回以上の性交渉に応じる」「拒否したら慰謝料を払う」など、配偶者間の性的義務を強行的に定める条項は、人身の自由を不当に束縛し、DVを助長するおそれがあるため、公序良俗違反とされる可能性が高いです。性行為はあくまで双方の自発的合意によるものであり、書面によって履行を強制することは認められません。
(4)子の親権・監護権を将来にわたり確定する条項
夫婦関係が破綻した場合に備え、「離婚時の親権は必ず妻が取得する」「夫は監護権を放棄する」などと規定しておく例があります。しかし、親権者は子の利益を最優先に家裁が判断するため、事前の一方的な取り決めは無効、少なくとも拘束力は極めて弱いと考えるべきです。
(5)将来の離婚を一方にのみ不当に不利にする条項
「夫の申し立てによる離婚は一切認めない」「妻が離婚を請求する場合は無条件で財産を全て放棄する」といった内容は、夫婦の平等原則に反し、公序良俗違反となりやすいです。離婚そのものや財産分与は、現行法で定める手続き・基準によって判断されるため、これを完全に排除する約束は許容されません。
(6)再婚・職業選択・居住を制限する条項
「離婚後◯年間は再婚してはならない」「○○業界で働いてはならない」「妻の実家への帰省を禁止する」といった条項は、憲法上の自由権を不当に制限するものとして無効となる可能性が高いです。夫婦間の合意であっても、人格的・社会的自由を恒常的に縛ることは許されません。
3 無効リスクを減らすための実務的ポイント
第一に、目的の合理性と必要最小限性を見極めることが重要です。たとえば浮気の再発防止なら「第三者との肉体関係を持たない」程度の禁止に留め、違約金は実際に生じ得る損害額を想定して妥当な範囲に設定します。第二に、期間・範囲を限定する工夫です。「半年間はGPSでの位置共有に協力する」「夜間の異性との私的連絡を控える」など、恒久的拘束を避ければ適正と評価されやすくなります。第三に、定期的な見直し条項を入れておくと、生活状況に合わせた修正が可能となり、過剰拘束の批判を回避しやすいでしょう。
4 作成手順で押さえておきたい留意点
①対話プロセスを丁寧に残す
誓約書は一方的に突き付けるのではなく、作成過程で双方が自由に意見交換し、合意に至った経緯をメモやメールで残しておくと、後日「脅迫で署名させた」と主張されにくくなります。
②専門家によるリーガルチェック
行政書士は契約文書の適法性を確認し、表現を調整できます。加えてDVや離婚訴訟のリスクが感じられる場合は、弁護士とも連携しながら文案を固めると安心です。
③公正証書化の可否を検討
金銭支払い義務を盛り込む場合、強制執行認諾条項付き公正証書にすれば、将来的に裁判を経ずに強制執行が可能になります。ただし、公序良俗に反する内容を公証人が認めることはありませんので、あくまで適正な条項であることが前提です。
5 まとめ
夫婦間誓約書は、崩れかけた信頼を取り戻すための一つの手段ですが、公序良俗や人格権、夫婦平等の原則を無視した内容は簡単に無効となる点を忘れてはいけません。過大な違約金、全面的な行動監視、性的義務の強制、将来の親権確定、極端な財産放棄――これらはいずれもリスクが高い典型例です。誓約書を作る際は、合理的目的かつ必要最小限の拘束にとどめ、期間や範囲を限定し、定期的見直し条項を設けるなどの工夫でバランスを取ってください。作成プロセスで双方の自由意思と対等性を確保し、専門家のリーガルチェックを受けることが、安全で実効性の高い誓約書を作る近道になります。